G型L型大学の区分けはいたしかたない

完全に出遅れたけど、文部科学省の会議で提案されたという、大学をG型とL型に区分けするべきという案について思うことを書いてみる。

(出遅れたというのは、条件反射的に賛成・反対するのではなく、自分なりに考えたということ。)

G型は世界で通じるグローバル人材を、L型はローカルな分野で活躍できる人材を育てることを目指すべきという。

それ以上に詳しいことは、ネット上でさんざん話題になっているから書かない。
元の資料はこちらにある。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/23/1352719_4.pdf


L型は、一言で言ってしまえば職業訓練校であり、そんなことは専門学校で教えるべき内容だ。という意見が多い。これには賛同する。


そしてまた、L型大学はもはや「大学」ではない。というのにも賛同する。


従って、「今のままで良い」とい結論になるのは、ちょっと違う。
もはや、「今のままではよくない」のである。だからこんな極端な提案が出てくる。
文部科学省が自らこんなことは言えないので、こんな発言をするような人物を委員に入れたのだろう。

だったら、そんな職業訓練校は大学の看板を下ろすべきと言う考えも当然ある。
これは正論だけど、現実的でない。私は、大学は必要だと考える。


簡潔に言ってしまえば、今のように大学生全員が、
・4年間もかけて、
・身につくかどうかわからないような、高度な学問を身につけるための講義を、
・聴いているかどうかもわからない状況で、
・ほっておくような余裕が、
・今の日本には無い
ということ。


高齢化が極端に進み、ますます生産年齢人口が減少する中で、とにかく若者には、すぐに国のためになるような労働をしてもらわなくてはならない。
認めたくない事実である。


大学で過ごす4年間は、たとえ学問の習得や、学術分野への貢献に失敗したとしても、多くの若者と触れ合い、刺激しあって、自分を見つめ、それは本人にとって、人生を豊かにする貴重な期間であろう。
しかし、そのようなぜいたくは、もはや許されない。それほど、日本は貧しくなったのだということだ。


現実的な話として、そのほとんどの学生が、世間が言うところの「大学」レベルの学力を有していない。
たとえばセンター試験の平均点を見てみよう。

平成26年度 大学入試センター試験 平均点等一覧

マークシートで回答させるような、私から言わせれば「あんなレベルの数学」で正答率50%程度である。
私立文系は数学を受験しないであろうから、理系の学生が、である。理系の学生の平均が、である。
そして、どんな点数であれ、希望すればほぼ100%、どこかの「大学」には入れる。


そんな程度の数学の力で、理工系大学の教養レベルで習う微分方程式複素関数論が理解できるであろうか。
微分方程式複素関数論ができなければ、物理で学習する電磁気学流体力学だって、全滅であろう。


文系の話は専門外なのでわからないが、英語の読み書きや、日本文学をたしなむ程度の教養なくして、英文学なぞ学んでもしかたないと言われても反論できるだろうか。


現実問題として、本来あるべき理想の大学の姿を、今の全ての大学で追及するのは無理である。


これまで、日本は豊かであったのだろう。それでも、だましだまし、世間はそれを見て見ないふりをしてきた。


しかし、悲しいことに、今はそんな余裕もない。若者には頑張って労働してもらわないとならないのだ。


と言って、過半の大学を潰すのは現実的ではない。看板は「大学」のままに、下位の大学には、中身を職業訓練校にしてもらおう。というのが、今回のL型大学の話なのだと思う。


日本は以前ほど豊かではない、という現実があるのであれば、この提案は取りうる1つの現実的な解であろう。