マサチューセッツ工科大学のハックとブロッコリー
MIT(マサチューセッツ工科大学)では、ハックと呼ばれる、学生によるいたずらの文化がある。
学長室のドアが隠されるという小さなものから、キャンパス内のドーム屋上にパトカー(にせもの)が置かれるという大規模なものまで、年に数回、キャンパスの中で楽しく芸術的ないたずらが行われている。
時には新聞をにぎわすほどの問題になることもがあるが、これが、ひとつのMITの文化として定着している。
日常に突然あらわれる可笑しく不思議な悪戯は、感性豊かな大学生の生活に、少なからずの刺激を与える。
■ MIT Sloan でのハックの紹介
http://web.mit.edu/sloanjapan/101/school/hack.htm
■ The MIT Gallery of Hacks
http://hacks.mit.edu/Hacks/
最近では、東京大学で自転車のサドルがブロッコリーに置きかえられるという事件?が起きた。
■自転車のサドルがブロッコリーに 東大生3人いたずら 立件は見送り(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110914/crm11091422120039-n1.htm
サドルは自転車のカゴに入れるなどされていたそうで、悪意は無いようだ。
このニュースを見て、MITのハックに似たことを東大生も始めたのだな、面白い試みだ。と思った。
将来がほぼ約束されているような東大では、このような些細ないたずらでも、敢えて行うには勇気が必要だろう。
よくやったなぁ、と思う。
ネット上では様々な批難が出ているが、茂木健一郎氏のTwitter上のつぶやき【いたずらに対する態度に、生命観が顕れる】に大いに共感するところがあるので、一部を紹介。
大学キャンパスにはいたずらはつきものだと認識している。だから、今回の「事件」はいかにも大学らしいな、と思う。
「通報」した大学職員の方も、職務としてやったのだろうし、調査して、不処分とした警察の方も、律儀に調べたのだろう。いたずらというのは、そのような社会の秩序との緊張があって初めて輝くのであって、役者がそろった、という感じがする。
問題は、その後である。学生たちの行為に対して、どんな感情をいだくか。職務上通報したり調べたりする義務もないのに、くさしたり否定したりする人たちの発言は、あまり面白くないなあ、と思う。にやりと笑って、お前らばかだなあ、と済ませるくらいが大人というものだろう。
日本の社会はやれコンプライアンスだと、息苦しくなり過ぎている。職務上学生のしわざに対して何かをしなければならない役回りの人は仕方がないとして、第三者が「子どもっぽい」とか、「大学生にもなって」と言うほどつまらないことはない。 自分たちが身体を張っているわけでもない。
こういういたずらを英語では「プラクティカル・ジョーク」というが、この「プラクティカル」という語感には、「憲法」をConstitutionではなく「条文」のことだと思っている、くらいの世界観の差がある。なぜ、「プラクティカル」なのか、考えてみればいい。
秩序を体現している場所には、息抜き、風穴としての「道化」が必要である。宮廷には道化がいて、王様をからかったりする、シェークスピアにも出てくる。それがまともな生命の作用というもので、「 最高学府」などともっともらしい大学には、サドルとブロッコリの交換がふさわしい。
つまり、いたずらに対するある人の評価というものは、その人の生命感覚の反映なのだろう。風を好むか、それとも密閉された空間がいいと思うか。息苦しさこそが社会だと思っている人たちがいる。自分たちで勝手に息苦しくしているだけなのに。
秩序とか、もっともらしさがある時に、それに浸ることが心地よいと思う人と、ブロッコリに走ってしまう人がいる。インターネットをつくっているのは、後者の人たち。もっと東大にブロッコリが現れると、スタンフォードになれるかもしれないのにな。
詳しくはTogetterにまとめられている。
■ 茂木健一郎氏 @kenichiromogi 東大ブロッコリー事件【いたずらに対する態度に、生命観が顕れる】についての連続ツイート
http://togetter.com/li/188708
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