大学での海外留学の必須化に賛成

最近では、大学関係の話題が多い。それほど、大学の在り方が問われる時代になったということだろう。


少しさかのぼって、「大学での海外留学必修化」の話題がある。

一橋大、新入生の留学必修に 立教や早稲田も  :日本経済新聞


この内容には、よくやった。と言いたい。私は賛同する。


ネット上のコメントは、この案を批判するものばかりなので(まぁ、何を提案しても、否定されるのだろう)、思うところを書いてみる。


多くは「4週間」という短期間では意味が無い。という観点からの指摘が多い。それでは、何も学べない、と主張する。


いやちがう。
若者の感受性を侮ってはいけない。


若い時の4週間は、海外を、世界を肌で知るには十分な期間である。


私は、ちょうど二十歳のときに4週間だけ海外滞在を経験した。そこで得たものは非常に大きく、その後の人生に大きな影響を与えている。
それ以降、何度も海外に出ているが、最初に経験した、この4週間ほどの刺激が大きかった期間はない。


感受性の高い、若いころの経験は、世間ずれした大人になってからの経験の何倍もの価値がある。



4週間で何が学べるだろうか。


流暢な英語を話せるようになるのは無理だ。そんなのは、後からでいい。
英語で学問を習得するのは無理だ。そんなのは、母語で学習すればいい。幸い今は、日本語で高度な学問を学ぶことができる。


4週間アメリカに行けば、
・うわべの社交辞令に上手に隠された、肌の色の違いによる陰鬱な差別意識の存在を感じることができる
・英語が上手でないことで、まったく相手にされないか、または蔑視の目で見られる嫌な経験をすることができる
・綺麗な観光地から、一歩奥に入った路地の危険な雰囲気を感じることができる
・店員の横柄な態度に驚かされ、日本のサービスがなんと優れたものであるかを実感できる
・弱者からぼったくろうとする、悪質なサービスの存在に気づくことができる
・映画館に行けば、どれほど肥満が蔓延しているかを隣の席で実感し、映画の鑑賞の仕方1つとっても、全然日本と違うことがわかる
・紙コップを手に持った浮浪者をたくさん目にし、格差の大きさを身近に感じることができる
・多種多様な文化的背景を持った人たちが、様々な国から、様々な事情で渡米してきている。ゆるい人生を送って来た自分と、人生に対する真剣さが違う人々の気概を感じるとることができる。

4週間中国に行けば
・ネットで見聞するほどには日本人に対する反日感情が無いことに気づく
・上海、北京は、東京と変わらないほどに、むしろ東京以上に都会であることを肌で感じることができる
・高齢者が少なく、若者が多いこと。日本と一緒で今の若者はみんなスマホをいじっていること。地下鉄の中で、障碍者がハーモニカを演奏してチップをもらっていること。本当にネット検閲されていて、アクセスできないページが存在すること。くっちゃくちゃの汚いお札でもみんな気にしないこと。そんな、些細なことにも驚きが伴う。


日本で当たり前と思っていたことが、実はそうではなかった、という気づきが大事だ。

日本に閉じこもってインターネットで情報検索しているだけでは、
・世界の「くうき」を感じること、
・日本を客観的に見ること、
この大事なことができない。


海外留学の対象ではないだろうけど、
アフリカやインド、中東やモンゴル、そんな異文化の国に行けば「人生が変わった」と言えるような刺激も得られるだろう。
そして、そのような刺激を得られるのは、20代の多感な時期以外に無い。

G型L型大学の区分けはいたしかたない

完全に出遅れたけど、文部科学省の会議で提案されたという、大学をG型とL型に区分けするべきという案について思うことを書いてみる。

(出遅れたというのは、条件反射的に賛成・反対するのではなく、自分なりに考えたということ。)

G型は世界で通じるグローバル人材を、L型はローカルな分野で活躍できる人材を育てることを目指すべきという。

それ以上に詳しいことは、ネット上でさんざん話題になっているから書かない。
元の資料はこちらにある。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/23/1352719_4.pdf


L型は、一言で言ってしまえば職業訓練校であり、そんなことは専門学校で教えるべき内容だ。という意見が多い。これには賛同する。


そしてまた、L型大学はもはや「大学」ではない。というのにも賛同する。


従って、「今のままで良い」とい結論になるのは、ちょっと違う。
もはや、「今のままではよくない」のである。だからこんな極端な提案が出てくる。
文部科学省が自らこんなことは言えないので、こんな発言をするような人物を委員に入れたのだろう。

だったら、そんな職業訓練校は大学の看板を下ろすべきと言う考えも当然ある。
これは正論だけど、現実的でない。私は、大学は必要だと考える。


簡潔に言ってしまえば、今のように大学生全員が、
・4年間もかけて、
・身につくかどうかわからないような、高度な学問を身につけるための講義を、
・聴いているかどうかもわからない状況で、
・ほっておくような余裕が、
・今の日本には無い
ということ。


高齢化が極端に進み、ますます生産年齢人口が減少する中で、とにかく若者には、すぐに国のためになるような労働をしてもらわなくてはならない。
認めたくない事実である。


大学で過ごす4年間は、たとえ学問の習得や、学術分野への貢献に失敗したとしても、多くの若者と触れ合い、刺激しあって、自分を見つめ、それは本人にとって、人生を豊かにする貴重な期間であろう。
しかし、そのようなぜいたくは、もはや許されない。それほど、日本は貧しくなったのだということだ。


現実的な話として、そのほとんどの学生が、世間が言うところの「大学」レベルの学力を有していない。
たとえばセンター試験の平均点を見てみよう。

平成26年度 大学入試センター試験 平均点等一覧

マークシートで回答させるような、私から言わせれば「あんなレベルの数学」で正答率50%程度である。
私立文系は数学を受験しないであろうから、理系の学生が、である。理系の学生の平均が、である。
そして、どんな点数であれ、希望すればほぼ100%、どこかの「大学」には入れる。


そんな程度の数学の力で、理工系大学の教養レベルで習う微分方程式複素関数論が理解できるであろうか。
微分方程式複素関数論ができなければ、物理で学習する電磁気学流体力学だって、全滅であろう。


文系の話は専門外なのでわからないが、英語の読み書きや、日本文学をたしなむ程度の教養なくして、英文学なぞ学んでもしかたないと言われても反論できるだろうか。


現実問題として、本来あるべき理想の大学の姿を、今の全ての大学で追及するのは無理である。


これまで、日本は豊かであったのだろう。それでも、だましだまし、世間はそれを見て見ないふりをしてきた。


しかし、悲しいことに、今はそんな余裕もない。若者には頑張って労働してもらわないとならないのだ。


と言って、過半の大学を潰すのは現実的ではない。看板は「大学」のままに、下位の大学には、中身を職業訓練校にしてもらおう。というのが、今回のL型大学の話なのだと思う。


日本は以前ほど豊かではない、という現実があるのであれば、この提案は取りうる1つの現実的な解であろう。

病院待ち時間の経済損失は年間3000億円?

病院で待たされた。待たされた。2時間半待って、診察が終わって帰宅まで3時間。
出勤の前に、サッと済ませることができることを期待していたのは完全に甘かった。

一針縫う怪我をしてしまって、包帯の交換のために診察時間開始のタイミングで入ったのだけど、すでに待合室は混雑しきり。
(この病院はネット予約に対応してない。)
よく聞く話だけど、やっぱり大半はご高齢の方々ばかり。現役で働いているっぽいなぁ、と思われる人は自分を入れて2人しかいなかった。



この待ち時間は明らかにもったいない。


経済の専門家ではないけど、こんな計算をしてみた。


現在の日本の就業者数:6363万人
統計局ホームページ/労働力調査(基本集計) 平成26年(2014年)8月分結果

就業者1人が1年間に病院で待たされる時間の平均:
1時間 x 2回 = 2時間
← 適当

1時間の価値: 2300円
出典:国土交通省道路局 Investor Relations 基礎データ 渋滞状況


計算してみると

6363万人 x 2回 x 1時間 x 2300円 = 2926億円


ぎゃ!

適当な計算だけど、待ち時間だけで3000億円の経済損失が発生していることに。


ご退職されて時間に余裕があって、診察も緊急を要しない方々よりも、
現職で仕事をもっている人たちを優先して、さっさと仕事に戻ってもらえらば、数千億円の単位で経済効果があるのではないだろうか。←適当


ホリエモンに期待か!
ホリエモン「病院の待ち時間」を解消するベンチャー起業か?|面白ニュース 秒刊SUNDAY


患者には嬉しいけど、実現は難しいかな。
導入する病院側にメリットが無さそうだから。