確率の問題

先日のエントリで記した内容に限らず、ネット上では「確率」の話についての激しいやりとりを見かけることがある。
純粋に数学的な話であって、一方は正しい解を述べているのに、どうしてもそれを認めないとする主張も多い。
このような議論を見ると、人間は確率の概念を直観的に理解することが不得手なのだと改めて思う。

パスカルフェルマーによって確率の概念が議論されたのが17世紀。
人類が確率について数学の言葉で説明ができるようになってから、まだわずか数百年程度である。

世界を変えた手紙――パスカル、フェルマーと〈確率〉の誕生

世界を変えた手紙――パスカル、フェルマーと〈確率〉の誕生

かの天才数学者であっても、計算によって導き出される結果と直観の差に悩んだのだから、我々がそう簡単にわかるものでもないのだろう。

例えば「モンティ・ホール問題」という有名な確率の問題がある。

3つのドアがある。
1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろにはヤギ(はずれを意味する)がいる。
プレイヤーが1つのドアを選択した後、司会者が残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。
ここでプレイヤーは最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更しても良いと言われる。
プレイヤーはドアを変更すべきだろうか?

この問題を知らないのであれば、是非一度じっくり考えてみて欲しい。
直観的には「変更してもしなくても、同じ確率で新車が当たる」と考えてしまうだろう。しかし答えは異なる。

解説は手抜きして、Wikipediaに譲る

このように、確率を直観で語ってはいけない。
先人の努力によって得られた智慧に謙虚に学ぶことが大事である。

確率の話は、幾何学に関連付けると、さらに難しく面白い問題となる。
興味がある方は「ベルトランのパラドックス」や「ビュフォンの針」について調べてみるとよい。

例:ベルトランのパラドックス
http://d.hatena.ne.jp/IIJIMAS/20100815/1281854094
http://mathworld.wolfram.com/BertrandsProblem.html

例:ビュフォンの針
http://www.interq.or.jp/www-user/nozato/pseudo/noteof/note3.html
http://mathworld.wolfram.com/BuffonsNeedleProblem.html